不在の劇場

メモ書き

【雑文】人並みの幸福と人並みの努力

 『俺のように天分の薄いものは「平凡人としての平和な生活」が、格好の安住地だ。学校を出れば、田舎の教師でもして、平和な生活に入るのだ。』
人並みの幸福―家庭を持ち、子供を育て、一軒家を持ち、自家用車を持つ―そんなテンプレート化された幸福を求めてしまうのが日本人のサガというものだと思っています。そして、往々にしてそういう『平凡人としての平和な生活』を甘く見ている傾向がある、と思っている。ブラック企業に入って苦しんでいる人も、夢を追っているふりをして生きている人も、『平凡人としての平和な生活』が簡単に手に入る・・・・・・というような夢を見ている。そう、僕らは努力しなくても手に入る『平凡人としての平和な生活』を心から望んでいる。主語が大きくなった。私はそういう生活が誰にでも手に入ればいいと思っているし、そういう生活が手に入ることが幸福だと思っている。

 その一方で、もう一人の私が心の中でつぶやく、「大切なのは、幸福になることではないよ」と。

 幸福、幸福、幸福。幸福とはなんでしょうか。テンプレート化された平凡人としての幸福こそが至極とされていた世の中から少しずつ世界は変わっていて、みんながみんなそれぞれの幸福の在り方を手にし始めているのが本当に妬ましい。どうしてみんなそんな風に自分たちの暮らしをイメージして行動することができるのだろうか。私は別に無駄な努力がしたくないとかそういうことを思っているのでもなく、幸福になるためにならどんなことだってやって見せるという気持ちだけを持っている。嘘です。幸福とはなるべきものではなく、在るものです。なんて言葉はいらないです。帰ってください。
 私の幸福はどこ?青い鳥は近くにいるのでしょうか。この狭くて暗く何もない四畳半の世界に、青い鳥はいるのでしょうか。いるわけないでしょう。青い鳥を捕まえるために何かをしたことすらないというのに、幸福が舞い降りてくるわけがないんだ。涼宮ハルヒも中原岬もこの世界にはいない。いない。彼を連れて飛んでいってしまったから。醜い肉の身体は彼方には連れていけないから。だから、現実は嫌いなんだ。いつも置いていかれる。誰もかれも先に行く。境界があるんだ。あそこには。だから、彼ら彼女らの幸せは私のものにはならない。そうして私は繰り返す、あの素晴らしいをもう一度。

 何かを為すためには何かを減じなければならないらしい。罪を清算したり、過去と向き合ったり、選択肢を削ったりと、無限の可能性ややってしまった過去から目を背けて歩いていくことはできない。ライが忘れてしまった過去を清算したように、白銀武が冥夜に別れを告げてから彩峰のもとにいったように、幸福を手にするためには何かをしなくてはならない。幸福は降ってこない。逆を言うと、私からみて幸福に見える人たちはその幸福のために何かしらをささげてきた人なのでしょう。どこにも到達することのない電車ごっこをしていた私とは違って、どこかたどり着きたい場所に向けて努力をしてきた人たちなのでしょう。穏やかに暮らしたいと思うのが遅すぎたのかもしれません、私たちは。だからこんなところで他の人が捨てなくてもよかったものを捨てなくちゃいけなくなっている。自分が欲しかった夢を捨て、自分が関わりたくなかった労働をし、延々と幸福ってなんだろう、と思いながら、いつか幸せになれる日を夢見て布団を被っている。だからもう、誰も起こさないでくれ。
 
 夢、夢、夢の世界。夢の世界は幸福であふれています。あの世界であれば私は苦しむことなく死ぬことができる。びっくりはするけれど。夢を見る方法は簡単で、うつぶせで眠ればいいだけなんです。それだけで私は夢の世界へ旅立てる。眠りにくい環境というのがいいんでしょうか。苦しい体制で眠ることで、眠りが浅くなり、夢が見られるような気がする。そこでは現実の醜い肉の身体は捨てて私は私ではない私になって、自由に生きている。苦しい体制で寝ているだけあって悪夢をみる確率も高いですが、それでも現実よりはきっとましです。それが夢なき普通の人以下の人間に許された幸福です。普通の人以下の我々に許されるのは現実以外での幸福です。現世は捨てて夢をみましょう。夢のために働きましょう。眠ることのできる身体と生活を手に入れるために働くのです。そうしてできるだけ多くの時間を睡眠に費やし、できるだけ長い時間夢を見るように心がける。醜い肉の身体では異世界にいくことも、過去にいくことも、誰かから愛されることもありませんが、夢の世界であればチャンスがあります。そこにかけましょう。努力は不要ですから。つらくなったらリタイヤすればいいのですから。ええ、神様もきっと許してくれる。それが私たちに許された幸いだから。

 努力、努力、努力。人がどれだけみじめにあがいてみたところで自然の美しさには敵わないもの。だから、何かをしようと考えた時点で自然に負けている。現実がなければ空想も幻想も生まれない。それはつまり、現実こそが至高であるということ。幻想も空想も現実の讃美歌に過ぎないのよ。美しい現実を切り取って空想と幻想が生まれた。はじめに現実在りき、だ。だから本当の幸福は現実にしかない。現実以外から持ってきた幸福は全部偽物なんだ。そんな偽物で満たされる心なんて存在しない。生きている限り。だから、きっと僕らは努力するしかないんだ。自分だけの青い鳥を見つけて、それを捕まえるために努力をしなくてはいけないんだ。そうしなければ、きっといつまでも幸福という幻想に取りつかれて、括ることになってしまう。これでみんなしあわせになれる。どっちが幸福かはわかりませんが。だって、私は死んだことがないもの。

 努力をしろと、人は言う。努力が何かを教えてくれるひとはもういない。みんな先に行ってしまったから。そして自分たちの幸福に閉じこもってしまった。彼ら彼女らも、自分たちの幸福を守ることで精一杯なんだ。ほかの可能性なんてみせてくれるなと、俺と同じかそれ以下の幸福であってくれと。そう願っている。社会はみんな。自分よりも優れた存在を、幸福な存在を認められるほど人は優しくない。だから、僕たちは幸福にならなくちゃいけないんだ。お前が考えるような幸福でなかったとしても、私だけのラストリゾートに向けて。歩かなくては、まだ、歩けるうちに。死んでしまう前に。

【雑文】なろう系のズラしの文化

 なろうについて、もう何かを口にしてもよい頃だろうと思う。学生の頃から読み続けていたが、いつの間にか読み切れないほどの作品が漫画化し、観きれないほどの作品が映像化された。そこにあるのは昔ながらの作品ではなくて、ある種の文脈にそった作品群だ。そして、それらはなろう系と揶揄され続けている。そして、その流れは今は亡きにじふぁんに続いて、ハーメルンという二次創作サイトまで連綿と続いている。
 それらの作品群を語る上で外せないのが、先述した「文脈」の存在である。作品が作品である以前に、なろう系という「文脈」を汲んでいることが絶対的なルールとなっている。
 今回は、今アニメ化されているぐらいまでの文脈とジャンルと呼ばれるものを含めてわたしなりにまとめてみたものである。もちろん、コレが全てだ、と断定するものではなく、一読者としてそういう「流れがあった」として捉えて貰えると嬉しい。

 ■何をなろう系と呼ぶのか?
 「主人公=読者として人生(セカイ)をリセットし、「何かの能力を得て」作品全体が主人公を気持ちよくさせようとする作品」という風に今回は設定したい。
 なろう系のアニメを観ている方にとっては違和感があるかもしれないが、投稿されている作品の多くは「主人公=読者」となるように設定されている。(ある人は「主人公=作者」という風に言う人さえいる)なろう系の主人公の大半は、読者が期待する通りに行動し、読者の期待する主人公であり続けることで読者を喜ばせる。そういう意味で、オリジナルな主人公が自分の好きな作品で活躍するにじふぁんやハーメルンも同じ「文脈」を持っていると言える。(そのため、登場人物間の関係性を重要視する二次創作コミュニティやサイトに持って行くと必ずといっていいほどに叩かれる。)そういったように、なろう系には「主人公=読者」の文脈が埋め込まれている。
 ライトノベル系と異なるのは「人生をリセットして何かの能力を得る」という点が最重視されている点で、現実の延長線では幸せになれないことが大前提に置かれている。そのため、なろう系からは「青春」や「恋愛」といったような「時間」が必要とされるジャンルがほとんど台頭しない。基本的には、「人生」「セカイ」「評価基準」などがリセットされて初めて活躍できるのがなろう系という作品である。そのため、活躍するのは少年少女であっても、リセットされる前は社会人や大学生・・・・・・なんてことがまかり通るのである。
 次にざっくりとしたなろう系の流れとよく見たジャンルを読者視点でまとめていく。
 
 ■なろう系という二次創作
 なろう系の基本構造は、「一部の舞台設定が流行る」→「誰かが一部を変えて投稿する」→「その舞台設定を否定するものが投稿される」というようなサイクルでできあがっており、ある意味では二次創作のようなものと考えている。そのため、ジャンルとしてはある程度まとめやすい。
 ※ここで指す「二次創作」とはオリジナル主人公が登場するにじふぁんやハーメルンの系列にある「二次創作」であり、「夢小説」や「コミケ」などで描かれる二次創作とは別物になります。

 0・ファンタジー小説
 (わたしが見始めた)最初期の頃は転移も転生もなく、ただファンタジーの世界が広がっていた。当時の感覚では、ライトノベルとそう大差ない設定の作品が転がっていたように感じる。この時よく見た設定としては、「基本属性とは異なる属性(ゼロの使い魔の虚無のようなもの)」を始めにした「ぼくの考えた最強の能力」をベースにして展開される物語が大半だったように思う。そして当時の設定で流行っていたのは、いわゆる「追放系」というもので、元々は貴族だった主人公が追放されて最強になって帰ってくる・・・・・・というもの。追放先で才能に目覚めて(あるいは努力をして)最強になった主人公が
実家に復讐をしたり、学園に通ったりする。当時、涼宮ハルヒが流行っていた関係か、やれやれ系や無気力系の主人公が多かった気がしている。また、舞台設定も「学園」が多かったように思う。残念なことに、このタイプの作品は今のなろう系の文脈から
少し外れた、純然たる俺TUEEE系のためか、アニメ化されていないことが多い。 
 
 1・異世界転移
 ファンタジー系の後に流行し始めたのが異世界転移系の作品。このあたりから本格的になろう系が始まってくる。歩いていたら・路地裏に入ったら・扉を開いたら・目を覚ましたら・・・・・・様々な状況で、主人公は異世界に転移し、主人公が特殊な力で世界を救ったり救わなかったりする。ここでなろう系の種とも呼ぶべき「主人公=読者」の構造が現れ始め、いかにして主人公を活躍させるのかが様々な手法で更新され続ける。
 「最強の能力」をズラして、「特定領域に特化した能力」に。さらにズラして、「知識や知恵で活躍する能力」に・・・・・・といったように、活躍する軸を少しずつズラして差別化が図られていった。「能力」の次は「立場」がズラされていった。主人公一人での転移では「ご都合主義」が過ぎるとして、複数人が転移され、クラスが転移され、日本が転移され・・・・・・と範囲をズラし、主人公を異世界でモブキャラの立場にズラしていった。(ただし、活躍するのは主人公)
 こういった「能力」や「立場」のズラしをしながら、「転移」という手法が展開され、「転生」へと繋がっていく。

 2・異世界転生
 順序で言うと、転移と転生に大きな差はなく、転移のズラしの過程で生まれたのが「転生」だとも言えるし、その発展方法は転移で記載した「ズラし」の文脈と大差はない。ただ、その多様な転生方法と二次創作に繋がる流れにだけは触れておきたい。
 転生方法には馬鹿にされるほどに多様なものがある。大分すると「巻き込まれ」「救出」「偶然」に分けられる。巻き込まれ系は人の一生を司る何か(例えば、蝋燭、本、書類)などを神様が誤って破損してしまうことで死んでしまい、そのお詫びに転生させあげるというもの。救出は誰かを助けるために死んでしまうというもので、「転生トラック」としてよく揶揄されている。(これを揶揄しているのが、このすばの転生)そして「偶然」は特に特別な理由はなく選ばれたというもの。これほど多様な手段で転生するのは、多くの作品で主人公が転生するため、「この展開はもう見た」というのを避けるためだと思っている。
 転生が飽きるほどに広まったのは「二次創作」も一つの要因ではないかと思っている。というのも、初期のなろうでは二次創作も投稿されていたからだ。
 一応の流れだけ触れておくと、①なろうに二次創作の規制がなかったため普通に二次創作が投稿される②投稿数が増えた関係か「にじふぁん」が作られ、二次創作と一次創作が分けられる(一部作品は、なろうでそのまま投稿可だった?ので、東方projectや恋姫などの作品は未だに残っている)③権利などの関係でにじふぁんが閉鎖④ハーメルンや暁、Arcadiaなどに移転・・・・・・といった経緯があり、なろうと二次創作には少なからず縁がある。
 そこで繰り広げられる二次創作は「作品」に「異物」を入れたらどうなるか?がほとんどで、それを実行するために「転生」という手段が(特に特殊な力を使う場合には)一番都合が良かったのである。
そういった背景もあり、「転生」がなろう系で幅をきかせていったように感じている。

 3・現実と異世界
 ある程度「転移」と「転生」を通じて特殊な力を出し尽くすと、今度は「異世界」にとっては「現実の世界」の方がチートなのでは?ということから、現代の科学やら知識やら技術やらを使った作品が多く現れ始め、転移でも転生でもなく「異世界と現実をつなげてしまおう」とする作品が現れる。つなげる方法は「特別な端末(ECサイト)」や「夢」、「扉」など様々だが、手元にあるもので活躍する等身大なものに落ち着いていく。
そして、異世界転生であっても「異世界から異世界」といったような主人公の強さが降って湧いたものではなく、妥当性があるものが求められるようになっていく。
 
 4.ジャンル化
 「異世界」「転移」「転生」などが一巡すると、そこの手法のズラしから「ジャンル内」でのズラしにシフトし始める。例えば今でこそ人気な「悪役令嬢」だが、これも「現代の人が転生・憑依する」とか「悪役令嬢自身がやり直す」とか「悪役令嬢が追放された後を描く」とか「悪役主人公が本来の主人公の立場に成り代わる」とかそういう同じ舞台での設定のズラしを行いジャンル化されていく。そのほかだと「追放系(主人公が不要な存在としてパーティから追放される)」や「スローライフ(戦闘よりも生活に重点を置く)」「現実そのものの転移(お店を転移させる)」もジャンル化されつつある。

 といったように、現在では狭い範囲でサイクルが回ってきているように見え、新しい視点が生まれない限り、こうしたジャンル内でのズラしを中心とした作品展開がされていくのではないかと思われる。

 ■なろう系の終わり
 「異世界転生はもう飽きた」と言う言葉を耳にする。設定をズラして発展してきたなろうというセカイではもう新しいものは何も生まれない。なぜなら、「同じような違うもの」を読者は求めており、完全な新しいものは、なろうにはなり得なず、形を変えた縮小再生産が繰り返される。その先でなろう系は解体されて、ライトノベルが再構築される。
 
 ■なろう系雑感
 これを書くと方々に怒られそうだが、なろう系とはコピペの文化になりつつある。学生がインターネットの文章をコピペしてアレンジを加えてレポートにするように、文脈をコピペしてアレンジ(設定)を加えて作品に仕立て上げる。そういう文化があの場にはある。なじみのある展開だからこそ書きやすいし、読みやすい。書きたい内容のためにテンプレを使うのは悪いことだろうか。

【ゲーム】マブラヴ_あいとゆうきのおとぎばなし

物語の始まりは、「御剣冥夜」という一人の少女が現れることから始まる・・・・・・とかそういうマブラヴの導入の話は他のサイトで見てくれたらいいし、そういう導入が必要な人はここから先は見ないでくれるとうれしい。ネタバレだらけなので。
 
0.【ゆうき】弱い自分と秘めた想い
 
 物語の軸には人間の「弱さ」というものが取り上げられている。EXTRAでは、少女達が内部に抱えている弱さを主人公が攻略するようなもので、よくあるラブコメだと言われればその通りのものである。(委員長のストーリーだけクリアしていないので、それがどうなのかわからないが)UNLIMITEDでもまぁ、似たようなもので主人公が彼女たちを攻略することが中心になる。で、逆に最後のALTERNATIVEでは、主人公の弱さが物語によって攻略されるようになる。
 
 つまりこの作品においては、物語の上で与えられたキャラクターの「弱さ」と呼ぶべきものを「乗り越える」ことで「自己を確立すること」がすべての根幹にある。
 
 そういう意味では、「御剣冥夜」や「BETA(世界)」は弱さを抱えたまま歩き続ける人間に対して「革命」を求める悪役/破壊者である・・・・・・とすることは否めない。仮初の幸せを許容せず、本当の幸せを求めることを強要する。
 
「・・・・・・これまでと同じ日常を延々と続けることに価値はあったか?」
「・・・・・・・・・・・・」
「形はどうであれ、彩峰がそなたに本気でぶつかってきたのだ。
大きな前進であろう」
「そりゃ、そうだけど・・・・・・・・・・・・別の感情にしてほしかったぜ」
「欲張りな奴だな。
・・・・・・であれば、もっと上手に立ち回ってみせればよかったであろう」
「・・・・・・それができればやってるよ」
「ならばそれでよいではないか。
タケルはタケルであろう?」
「・・・・・・そう・・・・・・かぁ?」
 
 これは、EXTRA彩峰√の御剣冥夜の台詞である。
 自分の気持ちに嘘をついてまでそのまま(日常)を続けることに意味があるのかと、白銀武に問いかけるシーンにもあるように、白銀武に正しい変化を求めている。この台詞を言ってしまえる冥夜のすごいところは「自身にもその変化を強要する」ところだ。このシーンでもし、冥夜がわざわざ白銀武の本心に気が付かせなければ、白銀武が自分の手元に転がり込んでくる可能性があったにもかかわらず、「白銀武をあきらめる選択」を取っている。そういうところがすごく好きだったりするんだ。
 
「貴様の不安はよくわかるよ。
 だが、人間の成長には終わりはないし完成することもない」
「だから今の貴様のように、同じ事を繰り返している様に思える時が、この先何度もあるはずだ」
「だが、自己が確立している者は、同じような事を繰り返していても、確実に成長し、次の段階へ進んでいく」
「だが、自己が確立していない者は、本当に同じ事を繰り返し、全く前進しない」
「自分の事もまともにできない者に、責任を持って他人の面倒を見る事はできないだろう」
「自己が確立できていない者には、公の要求に応える責任を負う立場に立つ資格はないんだよ」
「神宮司軍曹や伊隅大尉、そして速瀬中尉のような立場になることは許されないんだ」
「だが、貴様は自己を確立したんだ。
 速瀬中尉のように、感情を押し殺し、存分に悩み苦しめばいい」
「その苦しみは、必ず貴様をさらなる高みへ導くだろう。そこに向かって進めばいい」
「その時大切なのは、自分を理解してくれる人間だよ」
「貴様を理解してさえいれば誰でも良い。付き合いの長さや深さ、年齢性別は一切関係ない」
「貴様の弱音に耳を傾け、必要な時に苦言を呈し、道を誤れば躊躇無く殴り倒してくれるような人間であれば、誰でも良いんだ」
「そうだな。『尊い存在』というべきか・・・・・・」
 
 これは、Alternative宗像中尉の台詞。
 BETAが作り出した戦場という世界で繰り返し語られる内容である。
 プラスの世界からマイナスの世界に落とされた白銀武に「成長」という言葉を当てはめるのが正しいのか、という問題はある。あるのだが、「成長=自己を確立する=意思を強く持つ」と考えるのであればこれはこれで成長の物語であるとしてもよいだろう。もちろん、その強度を試すかのように方々から死を与え続けられるのはどうかと思うが。
 
「ああ・・・・・・とうとうオレは・・・・・・おまえの男になるよ・・・・・・」
この世界で生きていく意味を・・・・・・見つけてしまうことが恐かった・・・・・・。
あっちの世界に帰れなくなってしまうことが・・・・・・恐かった・・・・・・。

 

 これは、UNLIMITED白銀武の台詞。

 BETAのいる、鑑純夏のいない世界で生きていくことを決意したシーン。

 ストーリー的にはどの√も焼き直しばかりでアレだったのですが、このシーンはAlternativeよりも好きでした。

 

 と、上記に羅列したのは一部分にはなるのですが、こういう「弱さ」を乗り越えて「想い」を遂げるのがマブラヴの根源にはあったりする・・・・・・というのが私の感想。そして、その遂げられる想いが、愛が、一つの方向を志向しているのはちょっと気味が悪い。

 
1.【愛】 幸福の意義など考えずに、ただキミに穏やかであってほしいと身勝手にも願ったのだ。
 
「・・・・・冥夜」
「おまえには、感謝してるよ」
「・・・・・ん?」
「これ言うのはずるいのかもしれねぇけど・・・・・・・・・・話きいてくれたこと感謝してる」
「・・・・・タケル、それは違うぞ」
「冥夜?」
「私がそうしたかったのだ・・・・・それをこの短い期間に教えてくれたのは、タケル・・・・・そなただ」
「・・・・・オレ?」
「そして鑑たちも・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「それがわかってしまったから、こうしてここでタケルといるのかもしれぬな」
 
 これもEXTRA彩峰√の御剣冥夜の台詞で、彩峰への想いを確立させた白銀武が「御剣冥夜の想いにはこたえられない」と伝えるシーン。この一連の流れでわかることは、「自分の想いを遂げること」よりも「相手が幸福になること」に御剣冥夜は重きを置いているということである。もちろん、彼が幸せであるときにその隣にいるのが自分であればそれ以上にない幸福であるが、それよりもまず先に彼に幸せであって欲しいと願っている。その関係性はとても尊い。彼女の夢は、多分、「私が彼の幸せを願い、彼が私の幸せを願ってくれる」という関係性だ。互い互いに幸福を補完し合う関係性。それが彼と彼女の理想型だと思う。それこそが、絶対運命という絆だ。
 UNLIMITEDでもそれは同じだ。お互いにお互いが生き残ることを幸福と思っている。自分が生きることよりも想い人が生きていることを望んでいる。Alternativeでいう公と私が高いレベルで実現しているものではないが、そうである必要なんてもちろんなく、「民でもなく、戦友でもなく、自分の愛する人に生きてほしいと身勝手にも願う」その在り方がとても好き。――どこにあっても、私たちの魂は一つだ。よいな。
 
 そして、その在り方を一番気持ち悪い形で実現したのがAlternativeである。公と私を高いレベルで実現することをキャラクター達に強要するストーリーであるせいで気持ちの悪い構図になっているような気がしてならない。EXTRAやUNLIMITEDでは、お互いがお互いを補完しあう関係であったが、Alternativeでは基本的に想いは補完されない。自己犠牲的に見える彼女たちの行動は仲間(想い人)が幸福になるための行動であるにも関わらず、それを世界の幸福にまで敷衍させる気持ちの悪さと、それをすべての人間の死でもって示すことの気持ち悪さの両方がAlternativeでは実現される。
 御剣冥夜の最後のシーンを賛美するような声を聴いたような気がするが、アレは特段特別なシーンじゃないと思っている。EXTRA彩峰√で「許すがよい、私とて弱さを持ち合わせているのだ」と言ったシーンやこれまでの冥夜の行動から考えたら、弱さを見せることもああいう行動をとることも別段特別な選択ではなかったように思う。……Alternativeでも、EXTRAでも、UNLIMITEDでも、御剣冥夜御剣冥夜だった。であるとすれば、Alternativeでわざわざやることって何かあったの?
 
2.【おとぎばなし】ハッピーエンドのそのまた後のこと。
 Alternativeに話される内容は、EXTRAでも、UNLIMITEDでも得られるものだった。
 その上、Alternativeでは最後に記憶もなくしてすべてが0に戻され、あの世界はなかったことのようにハッピーエンドが訪れる。なら、この世界は何のためにあったのか。……それは、お前ら(プレイヤー)のためにあったんですよ。(余計なお世話だ)
 
とてもちいさな、とてもおおきな、とてもたいせつな、 あいとゆうきのおとぎばなし
 
 おとぎばなしは、誰かに聞かせるために存在しており、その誰かとはこのゲームをプレイするプレイヤーである。そして、プレイヤーに感じ取ってほしいことと言えば、「あい」と「ゆうき」に他ならない。異なる世界を重ね合わせた物語にすることでよりそのテーマを強固にしているのだ……と思う。
 白銀武が夢から覚めたように、私たちプレイヤーも「あの世界の物語」を記憶してゲームから離れていく。…………両者とも「幸せな世界には必要のない記憶」を持ち合わせてこの世界を生きることになるわけだが、その先にある行動はきっと前とは異なってものになっているはずだ。普通に生きているだけであれば得ることのできない何物にも代えがたい体験をすることができたはずだ。
 
「御剣として生きていたならば絶対に知り得なかった、何ものにも代え難いものを・・・・・たくさん手に入れることができたのだ・・・・・」
 
 実際問題としては、Alternativeは余計なお世話でEXTRA~UNLIMITEDで十分なものを貰っている。
 御剣冥夜のあの生き方を、他の人間の生き方を見てお前は何も感じなかったのか?
 もし、何かを得ることができたならば、それでよいではないか。
 
「・・・・・しっかりと前を見据えるがよい」
「私がしかとこの者と決めた白銀武でいてくれ・・・・・最後まで」
 
3.【おまけ①】NTRの文脈で見るマブラヴ
 本編とは何も関係のない感想ですが、マブラヴでヒロインを白銀武に寝取られる物語じゃないですか?EXTRAなんかはそれが顕著で、これまで姿も見せずにプレイヤーが自己投影しやすいカタチを取っておきながら、エロシーンなったとたんに白銀武が現れるわけですよ。これまでヒロインといちゃこらしていた「つもり」だったプレイヤーに冷や水を浴びせて、「彼女を抱いているのはお前じゃない……この白銀武だ!」と見せつけるように「「「男」」」を描くんです。エロゲーってそういうものなんですか?そうですか。そのうえ、Alternativeではプレイヤーの意思が介入する場面は一切なくなり、まるで映画のように白銀武の純夏への愛を見せつけられることになるというダブルパンチ。裏切られたうえに裏切らされるというダブル寝取りですよ。はい。
 

4.【追記】孤独

 「愛」とは「私が彼の幸せを願い、彼が私の幸せを願ってくれる」という関係性であるという風に以前は書いた。だが、そこに一言加えるべき言葉として「孤独」がある。作中……特にEXTRAでは、主人公がヒロインの「孤独」を埋めることが主軸に置かれている。(冥夜ばかりで恐縮だが、)彼女の√ではこういうセリフが出てくる。
 
 「許すがよい・・・・・・私に足りないものが、実はとても大切なものなのではないかと・・・・・・そう・・・・・・思ってしまったのだ」
「足りないもの?」
「それを得ることは難しく、そしてそれを得ようと思うことがよいのかどうか・・・・・・わからぬ」
「よくわかんねーな」
「鑑の作ってくれたみそ汁・・・・・・」
「ああ」
「・・・・・・実は・・・・・・」
「なんだ? 口ごもるなんて冥夜らしくないな」
「・・・・・・化学調味料の味がして・・・・・・あまりうまいとは思えなかった」
「そうか・・・・・・なかなかいい舌してんじゃん」
「・・・・・・とても残念だった・・・・・・」
 
 これは、御剣として生きてきた自分と、”普通”の世界で生きてきた白銀武(鑑)を比較して自分の中にある孤独を感じるシーン。いつも気丈な冥夜が自身のベッドの上で一人、膝を抱えているという絵面も彼女の孤独を強調する。最後のシーンでは孤独の象徴であった”部屋”が白銀武と過ごす孤独を埋める”部屋”になっていたのは、今思い出しても最高である。
 
 そこからUNLIMITEDになると立場が逆転して、日常と非日常のズレで物理的にも精神的にも白銀武が”孤独”になってしまう。ここにきてようやく「互いに孤独を補完しあう関係」になる。EXTRAだけでは白銀武が他者の孤独を埋める物語でしかないが、UNLIMITEDまで入ると「互いの孤独を埋めあう関係」へと昇華される。(ALTERNATIVEでは、補完されなかった鑑の孤独を埋める話=愛の話として物語が展開されているわけだ)
 
 だからこそ、物語の最後が「セックス」で終わることがいまだに理解できていない。そういうやり取りが存在していることは理解しているが、彼ら彼女らは肉体的・精神的に他人を所有したいと思ったわけではなかったのではないか……と思っている。(まぁ、理想の押し付けかもしれないが)

【ゲーム】Myself;Yourself

Myself;Yourself 佐菜編

 【概要】

なくした もの は、なんですか?
 
主人公・日高佐菜は、公立の高校に通う16歳の少年。
彼は、小学校5年生までの歳月を舞台となる町で過ごしたのち、両親の仕事の都合で東京へ引っ越し、そして、高校2年へあがって間もなく、再びこの町に戻ってくることになった。
 
物語は、そこから始まる――。
 
5年という歳月は彼に、変わらないものと、変わってしまったものとを無遠慮に見せつけてくる。
少年の目に映る周囲の人、物、出来事、想い……。
移ろいゆく時間の狭間、新たな学園生活の中で、彼は何かを失い、何かを得る。
 
ぼく自身、あなた自身
本来のぼく、本来のあなた。
ぼくらしく、あなたらしく。
 
生きていくことは、誰かと符号していくことだと、気づいたとき、彼は人生のステップを大きく上ることになる――――。
(取り扱い説明書より)
 
――――――――――――――――――――――――
Myself;Yourselfの間にある;(セミコロン)は関連性の強い2つのものをつなぐときに用いられる言葉。この作品は取り扱い説明書にもあるように、”ぼく”と”あなた”を符号させていく物語である。変わってしまった現実と変わらないものとを時間とともにすり合わせながら新しいカタチに辿り着く。
 
説明書にもあるように、「らしく」というのが一つのキーワード。
2回目のOPに入るまでは、5年前の「あなたらしい姿」という虚像を見つめることが中心になる。「かつてのあなたは……」といったように過去に作り上げた虚像をお互いに押し付けあうためにイマの私とズレが生じて傷つけあってしまう。そうして彼ら彼女らと関わりあう中で、自分が「なくしたもの」や「変わったこと」を認識して、互い互いの認識を重ね合わせていく。
 
【佐菜×麻緒衣√】
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プレイヤーが相手のことを好きかどうかではなく、相手がどう思っているか(好感度)で自分の行動(好意)が決定するので、麻緒衣の好感度が上がらないように邪険に扱っていなければこのルートに入る。
 
ストーリーは、家族のような間柄にあった麻緒衣と佐菜がなんやかんやあって深い間柄になったと思ったら急死しかけるというもの。よっぽど麻緒衣に対して冷たい選択肢を選ばない限りは最後の2つの選択肢で彼女の生死が決められることになる。(好感度が低ければ問答無用で死)
 
――――――――――――――――――――――――
「ひどいよぉ、佐菜ちゃん、笑ってる」
「びーふすとろがにょふ」
「佐菜ちゃんが泣くから、わたしも泣きたくなるんだ……」
――――――――――――――――――――――――
 
5年経っても変わらない姿を見せてくれるのが麻緒衣。主人公に対して常に優しい麻緒衣。そして、ルート分岐前から分岐後を含めて一番安心させてくれるのが麻緒衣である。そのため、佐菜が自分の心と向き合うのが麻緒衣√の本筋になっている。
 
――――――――――――――――――――――――
遠い遠いあるところ、むかしむかしの物語。
だけど、とっても身近なキミの物語。
少しだけ、となりを見つめてごらん。
きっと、キミの傍には幸せの青い鳥が……。
翼(つばさ)を広げて、キミが気づくのを待っているから。
少しだけ、うたがうことをやめて信じてごらん。
きっと、キミの傍には大切な誰かが……。
両手を広げて、キミが愛に気づくのを待っているから。
――――――――――――――――――――――――
 
「幸せの青い鳥」になぞらえて展開されるストーリーと絵本はとても好きだった。
 
【佐菜×朱里√】
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遠くにいた佐菜にとってはこの町自体が思い出の場所で、町の中にいる朱里にとっては一つ一つの場所が思い出の場所だった。思い出を「町」に見るのか「場所」に見るのか……遠くにいた佐菜と近くにいた朱里がそれぞれに感じる「思い出の場所」がすれ違い、それを重ね合わせて取り戻していくのがこのルート。そして、修輔が巨大な感情を朱里にぶつけるので、このルートをプレイしたらもう修輔編はプレイする気持ちになれないです。
――――――――――――――――――――――――
戦うことを恐れないでください。諦めないでください
私達の気持ちがひとつになった時、思い出の場所はきっとよみがえります
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【佐菜×菜々香√】
capture1205.png
これがグランドルートなんだね。という感じです。
 
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【全体】
 台詞回しはすごく好きだったんですが、シナリオについては「思い出を取り戻す」が中心でプレイヤーは比較的に置いてけぼりになってしまうのがとても寂しく感じる。菜々香を選ぶのも、朱里を選ぶのも、麻緒衣を選ぶのも、結局は「誰との思い出を選ぶのか」でしかなく、プレイヤーが何かを積み重ねることができないのがギャルゲー(≒エロゲー)としての意味があんまりなくなってしまっている。小説として菜々香ルートだけがあったのなら、もっと評価は違ったんじゃないだろうか。